今は昔
確かに、喫煙中より喫煙後に発していらっしゃる臭いはきついよなぁ。
体臭に混ざってたら最悪だし。
まぁ、昔は僕も吸ってたしな・・・。
しかし、誰とは言わないけどSNSで毎日のように、ものすごく叩く人を見てて
なんともいえない気持ちになることがある。
確かに、たばこの煙はよいことない。一個もない。自分も避けたい。全力で。
でも、吸ってる(しまう習慣がついた)人の人格を否定することがOKということにはならないと思う。
頭おかしいというくらいの表現をする必要もないと思う。
禁煙の動きの本来の目的は個人の健康なわけで。だから、いくら眉唾でも加熱式などの段階を経ていくことも許容できると思う。(中毒症状なので)
元喫煙者の僕が思うに、矛盾しているけど喫煙者はやめたいとか、やめようかなとか、そろそろやめなければなぁという気持ちを常々持っているはず。全員ではないだろうけど。
吸い始めたきっかけを忘れたのと同じくらいのレベルで、禁煙に踏み切る強い動機になるきっかけが見当たらないというのが核心に近いのではないかと思うな。
強い言葉による喫煙者に対する苦言・提言はあまり筋がよくないと思う。
だから、僕は今でも吸っている友達と会うときは、禁煙の話ではなくて、それ以外の習慣(例えば、筋トレするようになったとか、遅い時間に飲酒しなくなったとか)などの話でいかに思い込みで動いている部分が多いかという話に、軽く混ぜてそれほど大変なことではないという風に話をするようにしている。
結局、その本人の心に決意が芽生えないといけないので。
ん-やっぱり、社会で追いやる雰囲気は理解もできる一方、個人的にはなんだかなぁと思うな。
それでも、必要だった。
ほほう。
これは、物事を上手く扱えるようになってきた頃、その物事に取り掛かり出した
人が「何」について理解できていないかが、わからなかくなっているのも同じ理屈なのかな。
何か知識を手にしようと思い立った時、繰り返しつづけることになると思うが
その長さ(&深さ)が経験という尺として後付けされるものだとすると、この経験というものはあえて、同列に考える必要はないような気がする。
もっといえば、もともと知識を得ようとする行為自体が共感を必要としてスタートしていない可能性が高いのでは・・。動機には共感に近いものがあるのかもしれないが。
共感は疑似体験という高度な技術といえそう。
びっくりするくらい、親身になって検討違いな薬をだす医者より、モニターや手元しかみていないけど時間を大切にし適切な薬を出してくれる方が資源をより有効に活用しているとも思える。
まぁ、もともとたいして、必要のない場面にもことごとく入り込んでいるものでもあると思う。共感は。
流れる
いやー「死」というものは流れますね。
きれいに流れます。
生きてることのなんと価値の高いこと高いこと。
明日は、茶碗いじり。
今日は筋トレ。
人生楽しまないとなぁ。
試してみたいこと
まぁ、ここ数日、何度もあるところから電話が鳴り続けてるんですが。
コール中にググればすぐ判明しますよね。
まぁ、おそらく新しいECモールへの出店の案内だと思うんですが・・。
一度出て、話を聞いてみて今度はこっちから毎日何回も電話してみようかなと思うね。
売れるかどうか不安です。どうすればいいですかってな具合で。
そしたらかかってこないかも。
2017年5月10日曇り少し肌寒い。
パイセン。
先日御年76歳の父の所へ相談に伺い。
2時間弱にて帰路につき。
翌日、唯一教えている普段あまり使わないメールの受信箱を何気なく
開いてみたら
不明瞭です。5W+1Hを思い出せ
とメッセージが。
もう少しブログ書いて、アウトプットに勤しもうと思いました。
2017年5月9日曇り時々雨。